國がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

ポツダム宣言受諾時の大御歌おほみうた

國がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

1945年8月9日終戦の聖断が下された最高戦争指導会議御前会議。

午前零時3分、鈴木貫太郎首相、枢密院議長らが揃う中、昭和天皇がご到着。

会議は午前2時25分まで続いた。

翌10日未明、天皇による國體護持を条件にポツダム宣言受諾を決定。

原爆によるアメリカの目的は、最初から市民の殺戮でした。

米空軍の原爆投下命令書

その火の玉を住宅密集地、商業地区に投下せよ。

投下時間を午前8時15分とせよ

これはスタンフォード大学歴史学部バートンバーンスタイン教授が

入手した米空軍史投下命令書の内容です。

教授曰く命令書は

工場労働者が仕事を始め、市民の子供たちが戸外に

遊びに出る時間帯を狙った

と最初から市民の殺戮が目的だったと指摘しました。

我が国が戦争を止めた決断は、

この原爆による世界文明の破却から護る為のものでした。

大東亜戦争終結詔書玉音放送をみますと

天皇陛下は原爆の本質を見抜かれていました。

以下抜粋現代語訳

敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、無辜を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。

この上、なお交戦を続けるであろうか。

ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破却させるにちがいない。

そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神歴代天皇皇室の神霊にあやまればよいか。

以上が、朕が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。

朕はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。

わが国は、アメリカが犯した戦争犯罪による世界人類の破却から護ったのです。

アメリカ人の大東亜戦争に関する見解1ルーズベルトの時代の国会議員ハミルトンフィッシュ

私たちは、日本が、和平交渉の真っ最中にわが国を攻撃したものだと思い込んでいた。

1941年11月26日の午後に日本の野村大使に国務省最後通牒が手交された。

それはハル国務長官が渡したものである。

ワシントンの議員の誰一人としてそのことを知らなかった。

民主党の議員も共和党の議員もそれを知らされていない。

私はルーズベルトを許すことができない。

彼はアメリカ国民を欺き、全く不必要な日本との戦争にアメリカを導いた。

日本の指導者が開戦の決断をすることになった最後通牒ハルノートルーズベルト真珠湾攻撃を恥ずべき行いの日と呼んだことにちなみ、

恥ずべき最後通牒と呼ぶのが適切と思われる。

日本は、面積がカリフォルニアにも満たない人口八千万人の比較的小国であった。

天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。

天皇は名誉と平和を重んずる人物であり(略)。

日本はフィリピンおよびその他のいかなる米国の領土に対しても、野心を有していなかった。

しかしながら、ひとつの国家として、日本はその工業、商業航行および海軍のための石油なしには存立できなかった。

日本は、コメおよび石油の購入を平和的に保証されたならばどのような条約にでも署名し、南方に対するいかなる侵略も停止したであろう。

ただ、自由貿易を認めるだけでよかったのだ。

どうしてイギリスが極東における数多くの領土を保有する絶対的な権利を持つべきであり、

その一方で日本が近隣諸国からコメ、石油、ゴム、錫その他の商品を購入することさえもできないくらいの制限を米国によって課せられなければならないのか。

こんな理不尽な話はあり得ない。

米国の最後通牒を受け取った時点の日本は、四年にわたる戦争の結果、

中国のほとんどの海岸線、大都市、かつ広範な領土および満州全土を掌握し、極東最大の勢力となっていた。

このような強力な国家に対し、米国はこれ以上何を要求できると言うのか。

天皇および近衛首相は、平和を維持するために信じられないほどの譲歩をするつもりでいたのである。

非常に平和愛好者である首相の近衛公爵は、ルーズベルトとの会談を繰り返し要望していた。

在日米国大使であったジョセフグルーは、日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたか承知しており首脳会談を強く要請した。

日本は米国との開戦を避けるためならば何でもする用意があったであろう。

しかし、ルーズベルトはすでに対日戦、対独戦を行うことを決意していたというだけの理由で日本首相との話し合いを拒否した。

日本との間の悲惨な戦争は不必要であった。

これは共産主義の脅威をより恐れていた日米両国にとって、悲劇的であった。

我は、戦争から何も得るところがなかったばかりか、友好的だった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。

イギリスは、それ以上に多くのものを失った。

イギリスは中国に対して特別の利益と特権を失い、マレーシア、シンガポールビルマ、インドおよびセイロンをも失った。

日本人は、高度な忠誠心、愛国心に満ちた、非常に感受性の強い、誇り高き、かつ勇敢な民族である。

このような民族に恥ずべき最後通牒ハルノートを突きつければ、必ず戦争になるとルーズベルトは確信していた。

私はルーズベルトを許すことができない。

この大戦は米国に三十万人の死亡者と七十万人の負傷者、そして五千億ドルの出費を米国にもたらした。

日本には軍人、民間人合わせて三百万人以上の死亡者をもたらした。

日本の物的、人的、精神的被害は計り知れない。

その責任はルーズベルトが負っているのだ。

ハミルトンフィッシュ著TragicDeception:FDRandAmericasinWorldWarII1983年

邦題日米開戦の悲劇岡崎久彦監訳

2ケビンドーク氏

正論2013年9月号の対談記事

国際法上、日米戦争の始まりは日本の真珠湾攻撃ではありません。

それは、1941昭和16年7月のルーズベルト大統領による日本の在米資産凍結です。

これは当時の国際法では戦争行為にあたります。アメリカでは批判される見解かもしれませんが事実です。

ですから、法律的には、真珠湾攻撃は日本の防衛行為だと解釈されます。

日本はもともとアメリカを攻撃したくはなかったのに、ルーズベルトが仕掛けた。

3ヘレンミアーズ1948年の著著アメリカの鏡日本

1946年に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日

パールハーバーアメリカ合衆国の征服をたくらんで仕掛けられた

一方的攻撃であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。

なぜなら、私たちの公式記録が、

パールハーバーアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だった

という事実を明らかにしているからだ。